2. 論文の記述順序by カズオ・イシグロの父

テクニカルライティング by カズオ・イシグロの父 - imakov’s blog」で紹介した石黒鎮雄著『日本語からはじめる科学・技術英文の書き方』(ISBN 4-621-04016-2)で、文の記述順序を示している。

  1. 著者に便利な順ではなく、読者に便利な順に書く。
  2. 主要な事項を先に、細部を後に書く。
  3. 結論を先に、理由を後に書く。
  4. 具体例(図など)を先に示し、抽象化した理念を後に書く。
  5. 記述に適した順序は、語るのに適した順序とは異なる。
  6. 重複した記述が最小になる順に書く。
  7. 「前に述べた」「後に述べる」という語句は、記述順の悪い文から生まれる。
  8. 定義の必要な語句を、定義の前に用いない。

そして、悪い例の一つとして、つぎの文章を挙げている。この文章は、実際に学術論文誌に掲載されているものからの抜粋である。

繁殖度の定義 ある種の固形を平坦な土地の一点に植えると、その点を中心にして周囲に広がるが、実際には種々の条件で、方向によって広がりの度合いは異なる。また広がりの周辺では、明らかに中心と続いている部分と、少し離れた部分とができる。ここで「広がり」とは中心を含んで苔が密集している面積を指す。そこで繁殖の程度を示す評価関数について考えてみる。一般に苔が密集して背丈も高い部分ほど繁殖が良いと考えることができる。したがって、高さや密集度も繁殖の程度を表す評価関数の候補である。一群の苔を見た場合、内域の繁殖パターンはほぼ一様であるが、周辺域の繁殖パターンは外界の条件に応じて種々の変化がある。このとき固形の背丈で評価すると周辺域の状態は評価関数に反映されない。著者は、このような周辺域のパターンの違いにを評価関数に反映させるために、図のような方向性を入れた繁殖度を提案する。すなわち、最初に苔を植えた点を中心に16方向の扇形に分け、個々の扇形中で中心から最も遠い苔の部分までの距離rを計り、方向θとの関数f(r,θ)を求め、16方向について次式で処理した値を繁殖度と定義すると、繁殖の良い苔の群ほどこの値は大きくなると予想される。[式(1)](図)著書は、この尺度を繁殖の良さを表す評価関数として用いる。

この論文は、上述の記述順序に従っていない。

  • 著者が「繁殖度」を着装した順に記述されている。
  • 文の主題「繁殖度の定義」は文末にある。
  • 文が「語る」順になっている。
  • 「広がり」は、その定義の前に用いてある。「内域」「周辺域」は定義が与えられていない。
  • 著者のテイア苦いの尺度の議論が文の途中にある。
  • 文の順序の悪さが「そこで」「考えて見る」「このとき」「したがって」など不要な語句を生んでいる。

これを石黒鎮雄が改めると、次のようになる。

繁殖度の定義 ある種の苔を平坦な土地の一点に植えると、苔はその点から各方向に広がる。(図)図の中心は苔を最初に植えた点、斜線の面はその点から広がった領域を示す。中心点から16方向に扇形の面積をとり、各方向をθで表す。各扇形中で中心からもっとも遠い苔の部分までの距離rを測り、関数f(r,θ)を作る。この関数を16方向について[式(1)]で処理し、これを"繁殖度"と定義する。ほかにも繁殖の度合いを示す方法はあるが、提案の方法は簡単で、作った関数は方向別の繁殖の違いを調べるのにも役立つ。

文が劇的に短くなって、すごく分かりやすくなっている。

「著者に便利な順ではなく、読者に便利な順に書く」というのは、もっと普及すべきコンセプトだと思う。小中高の作文・読書感想文では、たいていの場合「どのように考えたか。どうしてそう感じたか。」というのを生徒に書かせる。これではエッセイを書く練習となってしまい、まさに「著者に便利な順」で書く練習をしていることになる。それだけではなくて「読者に便利な順」で書く練習もすべきである。『考える技術・書く技術』という本で有名なバーバラ・ミントは、同書の演習本として『考える技術・書く技術ワークブック』というのを出版している。この中にも同様な例が出ているので、以下に引用する。まずダメな例が次のメール文だ。

ジョン・コフリンズ氏から電話があり、今日1時のミーティングに参加できなくなったとのことです。ハル・ジョンソンさんによると、もっと遅い時間に変更しても良いし、明日でも明後日(木曜)でも構わない。ただ、その場合、2時以降にしてほしいとのことでした。また、ドン・クリフォード氏の秘書によると、クリフォード氏は明日までフランクフルトに出張だが、明日夜には帰国予定とのことです。会議室は明日まで予約いっぱいですが、木曜日は空いています。全員にとって木曜日の2時が良さそうですが、これで良いでしょうか?

このダメな例は、実際にあったやり取りを時系列の順で書いている。つまり、石黒鎮雄のいうところの「筆者に便利な順」になっている。バーバラ・ミントはこの文を次のように改める。

今日の1時からのミーティングを木曜日2時からに変更して良いでしょうか?コリンズ氏、ジョンソン氏ともにこちらの方が都合がよく、クリフォード氏も出席可能になります。また、今週会議室が空いている唯一の日でもあります。

こちらも、文が短くなっていて、そして分かりやすい。「著者に便利な順」「著者の思考を辿る順」「実際の時系列に沿った順」が常に悪いということではない。著者がどうしてこのような着想にいたったのかは、ぜひ知りたいものである。ヒヤリ・ハットの報告なども、時系列に沿った書き方が求められることもある。しかし、テクニカルライティングでは「読者に便利な順」で書くべきだということだ。

「そもそもテクニカルライティングって何よ?」って人は「NASAのテクニカルライティング 01 - imakov’s blog」も読んでー