1. テクニカルライティング by カズオ・イシグロの父

2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロのお父さんである石黒鎮雄は科学者で、1960年から英国の国立研究所に在籍したそうです。当時は在英の日本人科学者が珍しかったということで、各種の日本語の文献の英訳を英国人から依頼されたそうです。石黒鎮雄の経歴をみると、専門は海洋学か気象学と思われるが、英訳を依頼された文献には生物学や法科学の論文まであったという。

英訳をしてすぐ気がついたのは、英訳の難しさでもなく、専門的内容の難しさでもなく、「日本語原文の文章としての不完全さ」に起因する英訳の難しさであったとのことである。石黒鎮雄が科学・技術文に求める完全さの基準とは、「文法的な知識だけで、外国語に翻訳できるように書かれた文」であるという。すなわち、専門知識がなければ文意が通じないような科学・技術文は、書き方が不完全である

おそらく1990年頃の調査だと思われるが、石黒鎮雄は日本の代表的な学術雑誌から100編の科学・論文(ほぼ同じ長さで平均字数約2,580)を抽出し、論文の完全さを調査している。具体的には、文章の「不足部分」もしくは「過剰部分」を調査した。「不足部分」とは「文意を理解するのに読者が推定により補足しなければならない部分」であり。「過剰部分」とは「取り除いた方が主題が明瞭になる部分」である。その結果は、次のようなものだった。

  1. 完全な論文は1編もない。
  2. 約15件の「不足過剰部分」をもつ論文が全数の33%で、典型的である。
  3. ほとんどの論文は4件以上30件以下の「不足過剰部分」をもつ。
  4. 例外的に50〜60件の「不足過剰部分」をもつ論文もある。

石黒鎮雄は、このような経験をもとに、完全な文を作るためのガイドラインを提示している。それが、丸善株式会社から出版された『日本語からはじめる科学・技術英文の書き方』(ISBN 4-621-04016-2)である。2部構成になっていて、第1部で日本語での科学・技術文の書き方について指南し、第2部で英語で書く際の注意点を説明している。この本の最終的なゴールは文意が明確に伝わる英語の文章を作ることだが、日本語の書き方から指導しているのが特徴的だ。清水幾太郎の『論文の書き方』にも「日本語で文章を書くという時は、この日本語への慣れを捨てなければならない。(中略)日本語を自分の外の客体として意識せねば、これを道具として文章を書くことは出来ない。」とあり、同じ問題意識があることが感じられる。残念ながら、この本は絶版になってしまっている。この本で参考になった箇所を、imakov's bolgに書き留めていこうと思う。